top of page
2020-10-18_12-51-45_000.jpeg
logo.png

About

2020-10-18_12-51-36_000.jpeg
2020-10-18_12-51-36_000.jpeg

​筑後乃国阿蘇神社

阿蘇神社の総本社である 肥後一ノ宮の阿蘇神社を始め、全国に約500社ある阿蘇神社。

当社も正式には「阿蘇神社」です。

海津のお宮、みやま阿蘇神社など、親しみを込めてお呼びいただき有難うございます。

恵良惟澄本人が「恵良筑後守阿蘇筑後守」と称していたことから、筑後乃国阿蘇神社と名乗っております。

当社は勝負運・商売繁盛・厄除けの神様として、御参拝をいただいております。

朝鮮の役に出兵した柳川藩家老小野和泉守は、当社に御礼言上参拝しましたその後 感謝の辞として、現在の社殿並びに神田を献納いただきました。

​由緒

家紋.png

延元元年1336年 南北朝時代

 南朝方についた阿蘇の大宮司・阿蘇惟直さまと義弟の恵良惟澄たちは、多々良が浜(現在の福岡市東区)で大敗します。

 当時の大宮司阿蘇惟直は義弟の恵良に蛍丸(大太刀)を託し自刃します。

 惟澄は辿り辿って杣の里より矢部川を下り、川のほとりでこんこんと深い眠りに落ちていました。傍らには鋸のように欠けた刃。そこへ無数の蛍がやってきて強い光を明滅させます。翌朝、惟澄が目を覚ますと太刀は元の如く青白い光を放つ、こぼれの全くない銘刀にかえっていました。(*国宝 蛍丸伝説は、諸説あります)

 

延元二年1337年

 近くの宮園城の城主・大木貞久は、惟澄の傷が癒えるまで城内に留まらせます。

 貞久の「貴方の郷、阿蘇の大明神を分霊して、ここ海津古川の丘陵に祀られよ」との勧めもあり、惟澄は海津古川の地に阿蘇の神様を奉祀します。

 早鷹宮、これが筑後乃国阿蘇神社の前身です。

 

 惟澄は後に筑後守に任命され、晩年は肥後国阿蘇神社の大宮司まで昇り詰めます。

 蛍が修復したとされる国宝「蛍丸」は、肥後国阿蘇神社大宮司家の宝刀として秘蔵されてきましたが、戦後行方不明になっています。

 

 かたや、海津の地では惟澄の子孫とされる江良家が代々宮司を務めており、江良の本家には「蛍刀」という太刀が先祖代々受け継がれています。GHQによる戦後の刀狩りの際には、神社の裏に5〜6年埋めて難を逃れました。その為保存状態は悪く、銘の保証もありません。

 

 時代は移り筑後国は立花藩の支配を受けるようになります。宗茂公と共に朝鮮の役に出兵する際に必勝祈願をした家老・小野和泉守(日本槍柱七本の一人)は めでたく凱旋され、早鷹宮(阿蘇神社)にお礼言上参拝されました(海津郷土史より)

 

元和八年1622年

 小野和泉守の命により社殿並びに神殿が寄進、現在の場所に早鷹宮より阿蘇神社として分霊、新築されました。またその後も小野和泉守・小野若狭守、そして代々海津の氏子の方々より神殿再建、楼門再建に非常な尽力をいただきました。

 

 初代宮司の恵良惟澄より、大木貞久、小野和泉守、海津の氏子の方々を始め、多くの方々のお陰で、共に長い間 守り・守られてきた筑後乃国阿蘇神社。令和四年(2022年)には移転400年、そして 令和十九年(2037年)には創建700年を迎えます。

2020-10-18_12-47-50_000.jpeg

令和四年 創立六八五年

​御鎮座四〇〇年記念

About

祭祀について

祭祀、祈願のご案内

御田植祭

毎年三月第一日曜日 斎行

一年前から神田の耕作に始まり、本殿に奉納する大注連縄の製作、赤白鈴紐作りに至るまでの準備。当日は神事の後、社殿隣広場にて御田植神事を奉納。神職を中心に、花笠を被った早乙女(小学生)、田打男、馬草刈り、種蒔、其々の役が面白可笑しく演じられ、五穀豊穣が祈られる。平成10年にみやま市指定無形民俗文化財に登録。

2021-03-03_10-22-55_189.jpeg
祭祀

​頒布所

頒布所
お問合せ

お問合せ

日本、〒835-0136 福岡県みやま市高田町海津1642

090-5488-5008

送信が完了しました。

bottom of page